聖書観について

2012年 4月 18日

Q 同じ聖書でも、人によって読み方や受け取り方が違うように思います。それはどうしてですか。どこに原因があるのでしょうか。

 

A 人によって読み方や受け取り方が違うのは、各人の聖書に対する姿勢が異なるからです。これを難しい言葉で「聖書観」と言います。相手の聖書観を理解すると、聖書について対話する際に、相手の発言内容がよく分かるようになります。簡単ですが、以下に6種類の聖書観を紹介します。

(1)合理主義的聖書観。この中には、無神論、不可知論、理神論(宇宙存在の根源としての神の存在は認めるが、その神が人類の歴史に介入するとは認めない)、などが含まれます。合理主義の共通した特徴は、聖書よりも人間の理性を上に置くことです。その結果生まれてくるのが、近代主義や自由主義神学などです。

(2)神秘主義的聖書観。神秘主義の特徴は、聖書よりも経験を上に置くことです。彼らは、経験に合致するものは真理であり、そうでないないものは真理ではない、と主張します。また、聖書は神のことばではあるが、それ以外にも霊的真理はあると考えます。そのような霊的真理は、神秘的体験によって与えられるというのが彼らの主張です。

(3)ローマカトリックの聖書観。彼らは、聖書は教会の作品であると主張します。また、聖書はあいまいに書かれているので、最終的な権威である教会が、聖書の意味を明らかにする必要があるとも言います。彼らは、伝統に重きを置きます。ヘブル語・ギリシア語の本文よりも、ブルガーター訳(ラテン語)を重視するのもその表れです。また、使徒ペテロが初代の法王であり、法王権がカトリック教会の中で継承されてきたと信じています。

(4)新正統主義の聖書観。この聖書観は、実存主義哲学の影響を受けています。彼らは、聖書は神のことば(メシア)を証しするものであるが、過ちも含んでいると主張します。また、聖書の中から「神のことば」を見つけ出すことが人間の役割であり、そのためには、「神との出会い」が必要であるとも言います。聖書よりも、「神との出会い」体験を上に置くのが彼らの立場です。ただし、どれが「神のことば」であるかについて意見の一致がないのが問題です。

(5)カルトの聖書観。この聖書観では、聖書以外に何か別の聖典が重要とされます。つまり、聖書の霊感を認めると同時に、別の聖典の霊感も認めるということです。モルモン教ではモルモン経が、クリスチャン・サイエンスではメリー・ベーカー・エディ(1812~1910)著『科学と健康──付聖書の鍵』が、聖典とされます。聖書よりも、別の聖典を上に置くのが彼らの聖書観です。

(6)正統主義的聖書観

上記5つの聖書観に共通しているのは、聖書以上に権威あるものが別にあると考えていることです。正統主義は、このような考え方を否定し、聖書に最高の権威を認めます。これこそが聖書的立場です。以下の3点が正統主義の非常に重要な告白内容です。①聖書は、誤りなき神のことばである。②聖書の原典は、霊感を受けて書かれており、なんの誤りも含まない。③聖書は、信仰と生活に関する唯一で最終的な権威である。

正統主義的聖書観に立つ人は、幸いです。

Posted by 中川健一 | 1 コメント

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  • バッチリ!

    投稿者: デイビッド・ハンブル, 26/04/2012 10:34pm (6 年 前)

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